こんにちは、ハヤライ君です!
私事ですが、昨年30歳になり結婚もしました。
人生の大きな過渡期を迎え、自身の生活や仕事について現状のままで良いのだろうかという疑問が浮かんできていました。
ある日書店に行くと「30代を無駄に生きるな」という書籍が並べられていました。
これを見た私は自身の疑問に対する答えを得られる気がして、最初の数ページを読んでみることにしました。
30代を惰性で生きるなという言葉で始まり、30代は何をするにもちょうどいいタイミングであることなどが書かれていました。
この本は自分の人生観を見直す上でのヒントになると思った私はその本を購入しました。
ちなみに余談ですが、その日その他に2冊の本をすでに手に取っておりレジに向かう途中でこの本と出会いました。
レジから帰ってきた際に3冊に増えていることに妻は驚いていました。
内容は30代で身につけておくべき以下の5項目がまず書かれていました。
考え方 (捨てるべき考え方)
人間関係力
仕事力
好かれる力
習慣力
そして終章が30代をどう生きるかとなっています。
それぞれの章ではそのタイトルに沿った内容の説明がされています。
今回は私がこの書籍の中で心に残った言葉を3つご紹介したいと思います。
1.運はバッターボックスに立った数に比例する。
上司や先輩に怒られるのは誰だって好きではないと思います。
しかし、この著者は怒られるのはありがたいことだと述べられています。
昨今少し怒るだけでもパワハラと受け止められる可能性のある時代です。
そのリスクを負ってまで怒ってくれるのは期待してくれているからだということです。
私の実感では30代近くになると怒られることはほぼありません。
だからこそ (八つ当たりなどは除いて) 怒ってくれる人がいればその心意気に感謝し、素直に耳を傾けることも重要ではないでしょうか。
そして、怒られる人にはある共通点があると言います。それは「行動している」ということです。
この部分について私は新たな発見をした思いでした。
新たな物事に挑戦するとき、人は経験のある物事よりも多くの失敗をするはずです。
そのため必然と怒られる可能性も高くなるはずだということです。
著者は今の世の中では、自らは打席に立たずバッターを批評している人が多すぎると述べています。
SNSなども広く普及し、誰でも手軽に全世界に向けて批評を発信することができます。
批評していると優越感が得られるかもしれませんが、それでは自身の成長は遠のく一方でしょう。
そうは言っても行動するより行動を批評するほうが楽だと言う気持ちはあります。私にもその気持ちがあることは否めません。
運が良いからではなく、多くに打席に立ったから成功を掴むことができるのでしょう。
私もこれからはたくさんの打席に立とう、そう思わせてくれた一文でした。
2.頼まれごとは試されごと
仕事をしていると、様々な頼まれごとをされることがあると思います。
重要なプロジェクトに関することもあれば、ちょっとした雑務など内容は様々です。
私はこれまで雑務などをお願いされるときに、ついつい「面倒だな」「なんで私が」という風に考えていました。
この一文は私の考え方が間違っている事に気づかせてくれました。
頼まれごとをなぜされるのかというと、その分信頼されているからだと著者は言います。
確かに入社から年々頼まれ事をされる機会は多くなっていると感じます。
私が頼みごとをする場合を考えても、ある程度信頼できる人にすることも容易に想像がつきます。
そしてその中で、相手は私のことを試しているのだと著者は言います。
具体的に何を見られているか、それは「どんな結果を出せたか」と「頼まれたときのリアクション」です。
どんな結果を出せたかを見られることはなんとなくイメージできますが、リアクションに関しては私が今までそこまで重視していない部分でした。
確かに言われてみればその通りだと思いますし、無意識的に実行しているかもしれません。
しかし、意識して実行することも大切だと改めて感じました。
そのため、試されごとに対してはどんな仕事であれ快く引き受け、期待以上の結果を出すことを実践したいと考えています。
期待というのは成果とレスポンス速度だろうと私は考えています。
そこで常に期待以上を出すことを日々の業務の目標にするよう精進します。
頼まれごとをチャンスと捉えるだけで仕事に対する姿勢も変わってくるように感じます。
3.年に一度は人生の終わりを考えてみる
大多数の人はこれからも今まで通りの日常が続くと信じて疑いません。
かくいう私もそのように考えていました。
しかし人はいつ死ぬかわかりません。突然事故や病気が降りかかるかもしれません。
著者は毎年自分の誕生日に遺書を書くというのです。
その理由は、「残された家族のため」「自分がいま、生きていることを認識するため」の二点です。
残された家族のためというのはわかりますが、私は生きていることの認識なんて考えたこともありません。
遺書を書くことで「死」を認識する分、より強く「生」を感じることができるといいます。
そうすることで当たり前に感じている日常の捉え方が変わってくるのです。
著者がこのように考えたきっかけに知覧(ちらん)を訪れた経験があります。
知覧とは鹿児島の地名であり、特攻隊の聖地として有名です。
そこには10代後半から20代前半で特攻隊に選ばれ、国のために命を捧げた人々の遺書が展示されています。
遺書には若くして命を落とすことへの怒りを表す人はおらず、愛や思いやりに溢れているというのです。
そのような立派な内容を読んで、「生きる」ということを考えさせられたのです。
そして著者は「人生に迷ったら知覧に行け」と書いています。
同じタイトルの本も過去に出版しています。
人生で一度は訪れたい場所がまた一つ増えました。非常に喜ばしいことです。
私は関東在住なので気軽に知覧に行くことはできません。
しかし、遺書を書くことはできます。
まずは遺書を書くことで、自身の人生や「生」「死」を強く認識したいと思います。
4.まとめ
今回は「30代を無駄に生きるな」という書籍を紹介しました。
この書籍を読んで私が実践したいことは以下の3点です。
批評する側ではなく、常にバッターボックスに立ち続ける (挑戦を続ける)
自分にお願いされた仕事は快く引き受け、期待以上の成果を出すよう努める
毎年一回は遺書を書き、自分の死と向き合ってみる
その他、知覧にも訪れてみたいですね。
今回の私の学びのうちのどこか一つでもみなさんのためになれば嬉しいです。
それでは今日はこの辺で!